娘の3年間の留学を終えて(保護者としてのレビュー)

ニュージーランド留学体験談
藤田様(Whanganui Girls' College/長期高校留学)

ニュージーランド 高校留学 体験談

  • 留学開始: 2018年1月~2020年11月

あなたのお子様が、「留学に行きたい」と言い出したら、親のあなたはどうされますか?留学をさせる決断、在学中の心配、そして卒業後の進路まで「親側の留学体験談」を、2020年に留学を終えた学生の保護者様にご協力いただきました。お嬢様の体験談は(こちら)をご覧ください。トップの写真は、留学先の高校で留学生代表に選出された際のものです。 

(1)留学させるに当たっての心配 
思い起こせば、中学2年生の夏休みだったと思うのですが、娘が突然真面目な顔をして、「進路のことで相談がある。」と切り出してきました。そして「日本の高校ではなく、ニュージーランドの高校に進学したい。」と言い出した時は、予想外の申し出にしばし絶句したことを思い出します。よくよく話を聞けば、それ以前に2回ほど短期のホームステイで、カナダとオーストラリアに行ったことがあったのですが、現地でのコミュニケーションに苦労した経験から、生の英語を学びたいという気持ちになったことに加え、小学校の頃から公文式の英語教室に通い英語が好きだったことも手伝ったようです。しかし、未成年の娘を3年間も異国の地に行かせることに対しては、費用の問題ももちろんですが、漠然とした不安ばかりが先行し、「あと1年、中学校の勉強をしっかり頑張り、成績が上がったらまた相談に乗る。」とはぐらかしていました。同時期に、たまたま市内でニュージーランド留学フェアが開かれたので一応見学だけはしておきましたが、この段階ではまだ留学の実現可能性を低く考えていたため、積極的に多くの情報を収集することはしませんでした。

 そして3年生に進級し、卒業後の進路について考える時期になると、再び留学したいという気持ちを涙ながらに訴えられ、「あー、やっぱり本気なんだな。」と覚悟を決め、親としても真剣に情報収集を始めました。すると娘がネット検索をして、ARC社を見つけ具体的な希望校も探してきました。私がARC社とメールで連絡を取るようになり、たまたま代表の小西氏が地元に来る予定があると聞き、親子三人で直接面会し詳しく話を聞かせていただきました。ニュージーランドの様子などを具体的にお聞きする中で、少しずつ留学そのものやニュージーランドという国に対する不安は解消していきましたが、最後まで気がかりだったのが『未成年の娘を3年間異国に行かせることの心配』・『ホストファミリーと上手くやれるのだろうか』・『英語の授業についていけるだろうか』の三点でした。そんな親の気持ちを知ってか知らずか、娘はニュージーランド留学に向けて気持ちを固め、準備を着々と進めていたようです。

 留学に向けての事務手続きはARC社から具体的に指示していただき、国内でのビザ取得、航空券の手配、留学生保険への加入など、指定の旅行会社を通してスムーズに進められたと思います。留学させると決めてからは、過去に私自身も2年間の海外赴任経験がありましたので、異文化理解や語学習得の良い機会になると信じ、ある程度不安を吹っ切らせて後押しすることが出来たと思います。ただ、ニュージーランドの高校が1月末に新学期が始まるため、遅くともその数日前までには渡航しなくてはならず、当然のことながら通っていた中学校も渡航後は全て欠席することになり卒業式にも出席できませんでした。中学校に相談したところ、その辺りの事情を理解していただき、欠席することを特別に認めていただきました。いよいよ出発の日、成田空港に見送りに行き、出国ゲートの中に消えていく娘の後ろ姿を見ていると涙が頬をつたい、それを妻に見られ笑われたことは内緒です(笑)。
卒業証書は、後日、妻が中学校に出向き、校長室で直接手渡していただき、無事に中学校を卒業することが出来ました。

(2)娘の成長
 1年目はネット情報を参考に本人が探してきたオークランドに近い町の高校へ通うことになりました。まだまだ語学力に乏しい時期でしたので、授業についていくのもままならず、かなり苦労をしたようです。加えて、本人の予想以上に日本人の留学生が多く、日本人ばかりが集まって行動することも多かったようで、出来るだけ関わらないようにしていたら、他の日本人の集団からいじめのような形で無視されたり、現地のバディの子とうまくそりが合わずに精神的に追い詰められた時期もありました。そのような中、ARCのガーディアンの方が親身になって相談に乗ってくださったり、ホストマザーが温かく対応してくれたり、時々Skypeで私たちが話しを聞いてあげたりすることで何とか乗り越えることが出来たようです。しかし、環境を変えないと英語が上達しないと娘自身が考え、ARC社と相談しながら、転校に向けていくつかの学校見学をさせていただきました。それを踏まえ、次年度からは全く別の地方の町にある日本人留学生が少ない女子校に転校することを決め、それを目標に1年目を何とか無事に終えることが出来ました。12月上旬には1年目の課程が修了したのですが、「せっかく留学しているし、一時帰国を遅らせてでも語学研修をしたい。」との希望があり、ロトルアにある語学学校で3週間のプログラムに参加し、新たなホストファミリーとの出会いもありました。年末に一時帰国した時は、随分と流暢に英語を話せるまでになり、1年間留学するとこうも成長するものかと驚いたものです。

 翌年の1月末、2年目の留学のために出発したのですが、この日の成田空港周辺は大雪で、出国手続きはしたものの機内で数時間缶詰になっていたようです。そんなことも知らず、私たちは都内の親戚と呑気に会食している最中に娘からメールが届き、「飛行機がまだ離陸できていない。」と知らされ驚いたことを覚えています。ところが不運は重なるもので、やっとの思いでオークランド空港に到着したものの、到着時刻が大幅に遅れてしまったため予約していた国内線への乗り継ぎが出来ませんでした。そこで、出迎えに来ていたARCの小西さんが新たな航空チケットを手配してくださり、新しい学校のある町から車で1時間ほどのところにあるパーマストンノース行きの飛行機に搭乗し、学校の先生がその空港まで車で迎えに来てくれる手はずになっていました。ところが、離陸後にパーマストンノース空港周辺の天候が悪化して着陸出来ず、さらに南の首都ウエリントンの空港に着陸することになりました。そこから航空会社が手配したバスで、目的地であるパーマストンノースまで移動することになったのですが、バス出発までの間、知り合いも日本人もいない中、空港でのアナウンスを頼りに一人で冷静に対応し、九州の福岡から鹿児島までとほぼ同じ距離のバスに揺られ、パーマストンノース空港でようやく迎えに来てくださった新しい学校の先生と出会うことが出来、留学2年目の長い初日が終わりました。娘は口にこそしませんでしたが、きっと不安で寂しかったに違いありません。後日、小西さんからは、「さすがに1年間の留学を経験していただけに冷静に対応できたし、空港のアナウンスも理解出来ていた。もしこれが初めての留学の日だったら、誰しもパニックになるところだっただろうけど流石でした。」と褒められ、娘もまんざらではなかったようです。

 2年目の学校生活が順調に続いていた頃、8月のお盆休みを利用して夫婦でニュージーランドを訪問しました。ニュージーランドでは普通に学校があっている時期でしたが、学校の方から、「せっかく日本から保護者が来るのなら、学校を休んでいいから一緒に旅行をしておいで。」と許可していただき、予想外の親子三人旅を1週間楽しむことが出来ました。この辺の対応は日本と違うニュージーランドの大らかさだと思いました。そして、この旅行の間もさながら専属の通訳がいるような感じで、私のつたない英語などは出る幕もなく、とても楽な1週間のニュージーランドツアーを満喫することが出来、娘の成長を目の当たりにすることが出来ました。

 2年目の終わりの一時帰国にあわせ、同じ学校に通うニュージーランド人の女子生徒が来日することになり、我が家で年末年始を挟んで約1ヶ月間ホームステイをしました。我が家がにわかに国際化し、ボディランゲージとつたない英会話が飛び交う一ヶ月となり、これは私たちにとっても良い経験になりました。娘は一時帰国中にTOEIC L&Rを受験し、前年の一時帰国時には500点台だったスコアが一気に800点まで伸びました。

 3年目の留学に向けて再々出発する頃、日本国内でもちらほらと新型コロナウィルス感染症のことが話題に上るようになってきました。渡航そのものはスムーズに行き、3年目の学校生活も順調に始まったのですが、程なく日本国内では新型コロナウィルス感染症が急拡大して緊急事態宣言が発出され、全国一斉休校になったのは記憶に新しいところです。また、ニュージーランド国内でも感染者の増加が確認されると、いち早くロックダウンに入り、学校も休校になりその間はオンラインで授業があっていたようです。娘はCultural Ambassadorという留学生のリーダーを務めていたのですが、企画していた様々な行事が中止を余儀なくされるなど、涙を飲むことも多かったようです。しばらくしてロックダウンは解除され、ニュージーランドでは平常の生活に戻りましたが、外国人の入国制限が続いていたため、10月に受験のために一時帰国し、受験終了後に再渡航する予定が叶わなくなり、受験のための一時帰国が事実上の本帰国となり、中学校に続いてまたまた卒業式には出られずじまいでした。本来であれば12月の卒業予定だったのですが、一時帰国後の再入国が出来ない事情に鑑み、学校が特例として9月で卒業を認めるという配慮をしてくださいました。2年目の再渡航の際、パーマストンノースの空港まで迎えに来てくださった留学生担当の先生が、最後まで本当に親身になってお世話をしてくださいました。この先生との出会いは、娘にとってもまた私たち夫婦にとっても生涯忘れられないものになったと思います。 

(3)受験の苦労
 当初から娘は海外の大学への進学は考えていませんでしたので、進学先は国内の大学の中から受験可能なところを探しました。まず、日本の高校の卒業(見込み)資格を有していないことに加え、日本の高校のカリキュラムに則った学習をしていないために大学入学共通テストは受験せず、『帰国生入試』か『総合型選抜(旧AO)入試』に絞って受験可能なところを探しました。ただ多くの大学の『帰国生入試』では、“保護者の転勤に伴って海外で最終学年を含み2年以上学んだ生徒であること”を条件にしていたため、『総合型選抜』での受験を見据えることにしました。最終的には、県内にある公立大学の外国語学部を『総合型選抜』で受験しました。一次選抜は英語による模擬講義を受けての筆記試験でした。一次試験の過去問は大学の窓口で手に入ったため、受験対策は立てやすかったですし、ニュージーランドの学校で3年間英語の授業を受けていたことから、あまり不安はなかったようです。ただ、過去問を見る限り、模擬講義のテーマが多岐(政治・経済・文化等)にわたっており、講義の内容によって得意不得意が分かれるだろうなという印象でした。しかし、一次試験合格後の二次試験対策の方がよりたいへんでした。英語メインの個人面接だったのですが、『総合型選抜』や『旧AO入試』の『面接試験』に関する情報は一般に大学からは公開されていないため、どのような面接が行われるのか全く見当がつきませんでした。そこで、ネット上で情報収集をしたり、Yahoo知恵袋で先輩受験生からの情報提供をお願いしました。志望校でなくても他大学の同じような学部の受験情報であれば参考に出来ると思います。そして、面接での想定問答(英語の質問を含む)を考え、二次試験前の2週間くらいは毎晩自宅で娘と一対一で面接練習を行いました。

(4)終わりに
 以上、思いつくままに振り返ってみましたが、娘の3年間の留学を通し、親子共々いろいろな意味で成長することが出来たと思います。特に娘にとっては、枚挙に暇がないほどの思い出と多くの友人が出来たようです。このレビューは、留学を迷われている方に少しでも参考になればと思い拙文ながらまとめてみたものです。異国で学ばせるというのは確かにハードルが高いですし不安も大きいと思いますが、まずは慎重に学校選びをすることと、本人のヤル気を信じて後押しをしてあげること、実績があり信頼のおけるエージェントを利用すること等が大切だと思います。ニュージーランドの国情や国民性であれば、きっと有意義な留学生活を送ることが出来ると確信しています。Wifi接続したSkypeを利用すれば通話料無料で長時間のテレビ電話が可能です。娘からかかってくることもあれば、こちらからかけることもしばしばあり、食卓にタブレットを置いたまま、食事をしながらダラダラと喋ることも多々ありました。顔の表情を見て声も聞こえるSkypeを利用すればお互いに寂しさもある程度紛れるのではないでしょうか?

 結びに、最後の最後まで新型コロナウィルスの感染拡大に翻弄されたこと付記しておきます。帰国に際し成田空港から先への乗り継ぎで公共交通機関を使用することが禁じられていたため、成田空港でレンタカーを借り、九州まで夫婦2人交代で運転して連れて帰ったことは、人生で二度とない長距離運転だったとしみじみ思います。何はともあれ大きな病気や怪我もなく無事に帰国できたこと、進学先が無事に決まったことを素直に喜びたいと思います。新型コロナウィルス感染症が一日も早く終息し、従来のような留学が可能になることを願っています。その時、この拙いレビューが少しでもお役に立てれば幸いです。

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